まる宇之橋にて

彼はよく私を叱ってくれた。
7つ年上というだけでもその理由は明白なのだけれども、彼は賢かった。今思えば、ヒトが何気なく取った行動に敏感だったんだと思う。若くてあまり物事をよく考えずに行動していた私はよく叱られていた。彼の怒りが激しくて、結局彼のそういうところにガマンが出来ずに別れる事を考えるようになってしまったのだけれども。最後にした喧嘩は忘れられない、と言っても10年前の事なわけで、記憶が確かならば、テレビを観ていて「恋愛って片思いのときがいちばん楽しいよね」→「んじゃ、今は楽しくないのか」→1週間話してくれなかった、という流れだったと思う。ホントにくだらない。もちろんそれに至るまでに何度も何度も喧嘩を繰り返してきたわけだけれども。別れる言い訳を探していたら話を聞いてくれる男のヒトが現れた。つまりそういうことだ。私は本当に酷かった。(その報いは数年後に訪れるのだけれども)

彼は鳥のことをよく教えてくれた。エナガは高尾山で初めて観たとき名前を教えてくれたし、ハトが思いがけずかっこ良く飛んでいるのに一緒に気づいたり、カラスやスズメの鳴きまねをしてからかって遊んだりした事もある。そんな彼は環境調査のような仕事をしていて、日本全国をまわって仕事していた。でも、その中で観測した事物を観なかった事にする仕事も多くあったようで、続けていくことを悩んでいた。まだ学生だった私はだいぶ気軽に、続けることが難しかったら無理しなくてもいいんじゃないかみたいに言ったのかもしれない。ほどなく彼はその仕事をスパッと辞めてしまった。私はちょっとびっくりしてしまったことを憶えている。

彼は自分の家族を嫌っていた。呪っていた、と言っても過言ではないくらい。ちょうど私もあまり自分の家族をよく思っていない時期だった。彼のことは私の家族には紹介できなかった。現在の私は、友人の奥さんに「ああいう風に母親と仲いいのはいいね」みたいなことを言われるまでになったよ。

彼は文章を書くことが大好きだった。あるヒトは彼の文章を「さみしい」と評したそうだけれど、私はそうじゃなかった。文字が多くて小さくて読みづらかったけど、なんて言うか一生懸命自分の言いたいことを書いていて(彼はそんな風に思って欲しくなかっただろうけど)好きだった。私がいちばん好きだった頃の彼の文章は、ほんの少し残っているけれども今は読むことが出来ない。

そんな彼だったから、別れてしまったあとも少しこころに引っかかっていて、たまにこっそり彼の書いたものを探したり読んだりしていた。本当に稀に。あの頃の私のことを意地悪く書いてあることもあったりして嫌になって読まない時期もあった。

彼はひと月前に亡くなった。自殺だった。そのときたまたま私も彼の書いた遺書のようなものをリアルタイムで目にした。そして、ああ、これはやり遂げてしまったな、と直感した。そういうヒトだったから。通夜には行けなかったが、火葬場には行くことができた。彼のお兄さんが火葬場の入口にいて、顔よりも何よりも立ち姿がそっくりだったのに驚いた。10年経った彼の顔はそんなに変わっていなかった。

このひと月、彼の残したものを一気に読み込んだ。彼の文章は苦痛に満ちていた。10年前の後悔はいつか再会したときに話したい、生きていればそんなチャンスもある、今の私なら昔の彼の話ももっと楽しく理解して語り合えるはずだと一方的に思っていた。そんなことよりも、どんなかたちでもいいから連絡を取るべきだったと悔しくなった。この10年続いていた彼の書き付けは、もう増えることがなくなってしまった。

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彼と一度だけ旅行に行ったことがある。レンタカーを借り、彼の運転で行く道(たぶん)ちょこちょこぷちぷち小さい喧嘩をしながら温泉へ。温泉も素晴らしかったのだけれど、夕ご飯のとき、仲居さんに「豆ご飯と白いご飯、どちらにしますか?」と聞かれたので豆ご飯を選択。ふたりで美味しい美味しいと言いながら何杯もおかわりしたことを、遺書のようなものを読んでいていちばん最初に思い出した。悩んだけれど、記事を書くことにしたのはこのことを書きたかったから。

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あなたはこれらの私の記憶をどういうふうに記憶していたのですか?
去られる前に、一緒に記憶の答え合わせがしたかったです。





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